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歴 史  「 三 方 良 し 」



 中世、室町時代、近江に拠点を置く商人達は、琵琶湖の水運を利用し、各地に活躍した。
 そして、彼等は商法の哲学として「三方良し」を編み出した。

 「売り手良し、買い手良し、世間様良し」
 売り手と買い手の当事者ばかりではなく、その周りの人々にも利益をもたらすものでなれば、商売は永続しない。第三者まで目を配れ。という教えである。


 戦国の世が終わり江戸が新たな都市が作られると、彼等は江戸に進出した。江戸の繁栄は、近江商人が支える事になるのです。
 いつしか「三方良しの教え」は、日本の商人の中に、最も基本的な教えとして、広くゆき渡っていった。


 明治となると、江戸時代の商人は様々な近代産業へと進出することになります。そして日本に産業革命を起こす事になるのです。
 しかし、軍事力を背景とした商法は、敗戦とともに破綻しました。


 戦後、ゼロから出発し、勤勉さと培った技術力で高度成長を起こすことに成功します。更に、日本企業は海外へと進出し、世界企業と成長してゆくことになるのです。
 その過程で、「三方良しの教え」は大きな意味を持ってゆきます。
 好景気による、土地や企業買収はことごとく失敗し、その時先祖が培ってきた教えに立ち戻ることになるのです。
 すなわち近江商人の「三方良し」こそがトラブルを解消する、最良の方法だと気付くわけです。


 進出した国の人々を雇い、その国の企業を育て、その国の経済、文化に貢献しなければ、人々の反発を招き、商売は長続きしないと。  正しく日本の中世商人の教えは、今、世界で生き続けているのです。

2016.6.11  Mamoru Muto

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 高度成長を成し遂げた中国が、海外の不動産を買収したり、企業進出したりしています。そこで地元と多くのトラブルを抱えています。豊富な資金を全面に出した進出が、地元の意向とそぐわず、反発を招いているのです。

 同じことをバブル景気崩壊まで日本もやっていました。批判の強くなった公害工場の海外移転。地元の政府の役人の利権に絡んだ、大型インフラ整備。等々です。その象徴的な出来事が、アメリカで暴動化した日本車排斥運動です。

 その打開策はないかと先人の知恵を思い起こすと、近江商人の「三方良し」の思想に行き着いたわけです。進出国の実情に合わせた投資。地元住民を雇い、技術教育をして高度な労働者としてゆく。下請け企業を地元に育成してゆく。経営者も育成し日本企業からその国の企業として定着させる。日本企業から多国籍の国際企業への進化です。

 お陰で日本のイメージは改善し、多くの国で好印象を受けるようになりました。

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