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 自爆テロのルーツは日本の神風特攻隊
 イスラムの世界に自分の命をかけてかけて戦う思想はない。多分に日本の滅私奉公、武士道の影響を受け、ジハードの拡大解釈のもとに作られた思想です。
 イスラム世界に行ったことのある人はわかると思いますが、空手、柔道など日本由来の格闘技は盛んです。かって日本の格闘家が宣伝したからですが、敵対するヨーロッパではなく、同じアジアの極東の国の文化は、彼等に抵抗なく、時には神秘な精神文化として受けいるられたからです。そこで空手や柔道のもとになる武士道、先の大戦でアメリカ軍をふるいあがらせた、神風特攻隊、kamikazeは死を恐れぬ神秘の国の思想、憧れの精神文化だったのです。
 それに火をつけたのは、連合赤軍によるテルアビブ空港乱射事件です。遠い国の話が身近な現実と変わった瞬間です。もうそこまでくれば、武士道の主家や特攻の国家を「神」に置き換えればいいだけです。
 
 そして当時、新勢力として頭をもたげハマスの戦闘部門により自爆攻撃はなされ、その後の過激派、アルカイダやISなどに一気に広まったのです。
 ここで僕らは平和な安全地帯にいて、過激派の自爆テロを非難する。ハマスにしても、他の自爆テロにしても、今回のロシア航空機爆破にしても、パリのテロにしても、高々2、300人程度の死者です。イスラエルのガザ地区の攻撃では、常に1000人以上の犠牲者が出るし、アメリカやロシアやフランスのシリア、イラクの空爆では、何万人の犠牲者が出ているのです。
 これが現実です。彼らにしてみれば、自爆テロは何万人もの犠牲者のささやかな抵抗なのです。その不均衡が是正されない限り、なくなるものでなく、テロリストは常に再生産され続けることになります。
 
写真 天野さん 下は水眠亭 
 久しぶりに藤野へ
 11/7、医者から骨は繋がったからもう来なくていい。と言われた。でも関節は硬くなったまま、ステッキは欠かせない。でも嬉しくて、午後家を車で飛び出した。運転は左足は使わないから、療養中車は使えたのは、不幸中幸いであった。
 展覧会の案内状が来ていた、藤野在住の阿嘉まさごさんの展覧会に顔を出すことした。一度修ちゃんと自宅を訪問していて、覚えているつもりだったが、全く勘違いの場所を探していた。なんとも不思議な展覧会である。作品より畑の中に作られた仮設の展示小屋の方が面白かった。
 さてここまで来たら、他の人にも会わなければ。津久井の青木ヶ原の天野さん宅によることにした。古いは農家に一人暮らし、八十五歳になるといういう。流石に老いは隠せないが、不自由な一人暮らしが出来る元気さはあるのでホッとした。天野さんを車に乗せ、青根の温泉に行き、自宅に送り返して天野宅を後にした。
 青木ヶ原まで来たら、水眠亭によらなければならない。電話したら山崎さんは幸い在宅とのこと。ならもう一人千木良のサブちゃんにも会いたい。サブちゃん電話したら彼も在宅、ならサブちゃん宅に先により、彼を連れ水眠亭に行くことにした。
 二年ぶりだろうか三年ぶりだろうか。ここに来るのは。ルミちゃんを加えた四人で久々の四方山話に花が咲いた。そして、来年吉澤元治さんの17回忌を、是非水眠亭でやろうと約束して、帰宅した。
 
 
 今年も気になる中国
 昨年2015年は中国の政治、経済を巡り大きく世界が動きました。中国のAIIB、一路一帯構想と日本、アメリカのTPPの対立。「元」の基準通貨決定。アメリカ、日本とヨーロッパ諸国との対中国の温度差などなど。様々な思惑が複雑に絡み合って世界の政治、経済が中国を中心に動いた年です。
 僕の一番の関心は中国の民主化です。これは経済の自由化や中国経済の動向がその引き金になるのは確かです。中国経済が日本の経済を大きく影響を与えると以上に、中国国内の社会変化という意味で経済が気になるのです。
 豊かになった市民はさらなる自由を求める。というのが歴史の必然です。高度な市場経済は政治的自由を必要とするも然りです。長期的視点ではそうなのですが、短期的には何が起こるか分からないのです。
 
 ヨーロッパ諸国がAIIBに参加したり、「元」の基準通貨承認に積極的だったりするのは、遠く離れて、軍事的、政治的影響が少ないからです。直接的影響の大きい、日本や東南アジアやアメリカの見方は直接的影響が大きい分、中国の動向にシビアになるのは当然のことです。
 中国政府は高度成長から緩やかな成長への変換を模索してあるのですが、その思惑通りに進むとは誰も断言出来ません。常に経済破綻の危険が潜んでいるからです。問題は経済の悪化を政府の担当者が十分に把握していないのではないかと疑問があるという事です。情報の政府管理を徹底しているが故に、政府の中枢部に上がる情報が着色されていると思われるからです。
 
 高度成長時代の溜め込んだ資金もそろそろ借金体質に変わろうとしています。不動産バブルの崩壊や株価の暴落を食い止めた資金の余裕も無くなりつつあるのです。表の体裁を保てなくなった時、中国経済はドン底落ちる危険が付きまといます。
 
 富裕層の爆買いやアメリカのホテルの買収、イギリス外交での巨額の資金力など、バブル崩壊始まったとは言え不景気とはほど遠い状態です。本当にそんな経済破綻が起こるのか疑問に思われるかも知れません。ただ、日本のバブル経済崩壊時のように、時間差があるのです。1990年にバブル崩壊が始まり、1997年山一証券、北海道拓殖銀行破綻まで七年の時間が必要だったのです。その間、日本は好景気の余韻から抜け出せずに、危機に対処出ずにいたのです。
 中国経済の大きさを考えれば七年でなくもっと長い時間が必要かも知れません。でも、これは長い目で見れば、一党支配の終焉と民主化の始まりかも知れません。日本や世界に与える影響も大きなものとなります。だから今年も気になる国、中国なのです。
 また、日本の過去と単純比較することは出来ません。90年代のバブル崩壊より70年代の高度成長終焉と中成長の方が比較するのにあっているかも知れません。中国政府は日本の70年代の改革を目指しています。抱える問題も複雑で深刻です。
 最も大切なのは、短期的な視点ではなく、政府ではなく中国国民とう共存していくかという方策を積み重ねて行くことです。
 
 反日批判
 中国が、戦時中日本軍批判を始めたのは、天安門事件後からです。日本軍は共産党軍とは戦っていません。戦ったのは蒋介石の軍隊とです。その間に共産党は軍備を増長し、日本軍との戦闘に消耗した蒋介石軍に勝つことができたのです。今日の反日批判は国民党のお株を取ってしまった発言なのです。
 元々共産党は最下層の労働者や農民を守為に生まれた政党です。開放政策により貧富の差が生まれてくると、党は金持ちの為の党に変質する訳で、その批判をかわすのに、反日は利用されているのです。
 昨年の軍事パーレードに合わせた反日キャンペーンは、日本軍の悪魔化と益々虚構の上乗せをしました。この意味することは、一党支配の根拠が益々怪しくなってきたこととを意味するのです。
 一つの経済政策の間違いで、多くの失業者が出たりしたら、反政府批判が高まり、政権は崩壊します。AIIBも一路一帯も、国内の経済破綻をどうにか止めようする為の構想です。一党支配と自由市場は共存できませんので、いずれ破綻が来ます。
 
 反日批判その二
 かっての日本の侵略に、贖罪感を僕は持っていたのですか、それを政治的に利用する中国、韓国の政治を見ていると、嫌悪感を感じざるを得ません。そして、この二つの国は未成熟な国家、不安定な国家と断定せざるを得ません。
 国内に不安定要素がある時、その改善、改革してそれを除去するのが本筋なのですが、それをサボタージュする代わりに、国外に敵を作り、隠蔽する方法を政治家はよく使います。そして改革すべきものが大きく政権が不安である時、非難すべき敵は陰湿で悪質である必要があるのです。
 ただ二ヶ国とも経済力では世界の指導的立場になったのです。その影響力を考えたら過去の一時期の被害を殊更拡大して他国を巻き込み、その被害妄想化せざるを得ない政治的未熟さに嫌悪を感じざるを得ないのです。ここ数年で贖罪から嫌悪感へと変化したのは、そう思うようになったからです。
 
 韓国の場合は大きく国が分断されている事、国内政治が腐敗に満ちている事などが本質的問題です。それがなかなか解決されない。そのから目をそらす為に日本パッシングが必要なのです。
 また、中国の場合は、共産党支配の正当性が失われているからです。鄧小平の改革解放政策により、市場社会が導入されました。共産主義とは相入れないものです。そこに生まれた矛盾を覆い隠すため、反日が必要となったのです。経済がアメリカに次ぐ規模になった今日、一党支配する根拠はありません。それを覆い隠すために徹底的に歴史問題を利用されているのです。
 
 両国とも、日本を真似る事により市場社会を構築し、次に自国のアイデンティティを求める故に、日本パッシングが起こるという構造があります。それは中国では共産主義を構築する過程で、深刻な中ソ紛争を引き起こした構造と同質なのです。また、分断国家、一党独裁といった東アジアの政治構造まで及ぶ問題ですので、一大統領、一国家主席レベルでは解決できない問題でもあります。
 いずれ、作られた妄想はいずれ消滅します。相互依存の深まる今日、世界のどの国でも隣国との問題を抱えています。日本だけが特殊ではありません。仕方ない事です。問題を深刻化させない大人の対応こそが、国際社会で必要とされている事です。
 
 
 千日回峰行
 昨年の十月、比叡山、千日回峰行、堂入のニュースが大々的に流れた。これからの終盤は京都市内もコースに入り、個人の修行から庶民救済へとその意味合いを変えます。
 この荒行は最澄が始めたわけではなく、鎌倉時代後半に始まったと聞き、成る程と思った。宗教界の構造変化に生まれたからです。伊勢神宮なんかも一緒なんでんですが、平安時代の手厚い朝廷や貴族達の保護が受けれれなくなり、新たに庶民を信者に獲得する必要に迫られからです。
 また、日本仏教の特色として、従来の自然信仰との融合があります。平安時代、比叡山は仏教と日本の山岳信仰を融合させ、護国仏教と地位を獲得しました。新興の仏教が台頭する鎌倉時代に至り、仏教界のリーダーという地位が揺らぎ始めていました。僧兵の乱行などでひんしゅくを買い、単なる荘園領主、武装勢力と堕落していたからです。だから内部からの改革が迫られ、その改革運動の一環として、千日回峰行もあったのではないかと思います。
 荒行が真理近付くかは疑問です。釈迦自身も荒行ではなく、船旅をする旅芸人の話を聞いて悟りを開いたからです。しかし、過激な千日の荒行は、庶民に圧倒的なアピール力を持って迎えられた事は確かですが、この行の最大の意味合いは荒行ではなく、「山岳仏教の原点に帰ること」じゃないでしょうか。その成果を庶民救済という仏教の本来の目的に帰ること。だと思います。
 
 
 今年(去年)も暮れはそばうち三昧
 ガンちゃんとの話し合いで、大晦日のお蕎麦の会二連チャンはきついので、除夜舞のお蕎麦は中止した。これで少しはらくになると思いきや、宅急便でおくるぶんご増えて、昨年以上に打つ羽目となってしまった。
 今年は九州の働くんや、水俣時代な東郷さんからも注文が入り、嬉しくなり増やしてしまった。
 食べ物は単純で良い。美味しいか美味しくないか、それだけで良い。30日の福生の忘年会、31日の国立レラでのお蕎麦の会と好評。暮れしいね。今年は13kg、90?100人分打った。 明けて元旦は、何も出来ない。完全休養日。2016年は二日から始動です。
 
 
 30日、福生の忘年会の最後は、いつものように音楽や踊りで盛り上がらないとと終わらない。
 31日、国立レラの大晦日パーティーの写真を撮り忘れた。遅れてきた太君とのツーショット。

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