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 神道について
 日本人だから神社に親近感を感じるのは当然なのだが、神道は縄文時代以来の自然信仰が母体で、あまり難しい倫理は要求しないのが良い。国家という組織が必要とされる中で高天ヶ原神話が生まれ、神国信仰も生まれ、戦前の皇国史観まで登場するが、日本人宗教観のほんの一部です。
 中国から儒教、道教、仏教、そしてヨーロッパからキリスト教が輸入される中、自然信仰の本質(あらゆるものに霊魂を認め、それらと上手く付き合う)を維持してきたことは素晴らしいことだと思っています。
 世界のどの地域でも、最初は自然宗教です。共同体とそれを取り巻く自然の中で、知恵を伝えたものが宗教です。それが紀元前2000年ぐらいから、多くの民族が集まる国家が生まれ始めると、人間の関心が自然より人間社会の方に移ることになります。宗教改革がなされ、いわゆる三大宗教が生まれたのです。それ以降、世界は多民族への普遍性を持つこれらの宗教を中心に進化してきたのです。砂漠から森林へ、海を越え伝播するする中で、深い自然への洞察は失われていったのです。
 しかし今日、ヨーロッパに産業革命が起こり、工業化が進み、環境悪化がなおざりにしてきた、人間の外側の自然への関心を持たざるを得なくなったのです。日本の宗教は自然との関係多くの知恵を、まだたくさん秘めているのだと思います。だからその知恵を、文化だったり、テクノロジーだったり、世界の人が分かりやすい形に変えて、表現することが出来るのだと思います。
 
 例えば、日本人は無意識の内に相手や回りのことを考えて行動しています。「すみません」「ありがとうごさいます。」を対人関係では連発しています。森に入る時、森の精霊に許可や感謝をを表した行為を、人間関係に拡大したのだろうと思います。これらは人間関係のトラブルを未然に防ぎ、争いの少ない社会に大きく影響しています。
また、森から得た植物を無駄なく上手く使い、森の負担を少なくする知恵が「もったいない」という哲学です。そのには森を支配、破壊する思想ではなく、共存する思想が生きているのです。
 今日、かっての支配するという方法は捨て、日本人は外国に進出しても、日本に来る外国人に対しても、自然や日本人に対する対応と同じ接し方をしています。世界で好感度を持って受け入れられています。
 
 インターネットと外国旅行社会、中国、韓国
 スマートフォンで暇な時インターネットニュースを見ている。それらの中に韓国人や中国人のサイトの記事が載っているので、それはなかなか興味深い。日本語に翻訳してインターネットに載せる段階で選択されているので、彼の国のインターネット事情を正確に表している訳ではないが、若者達が何を考えているかは分かります。
 韓国も中国も、現在、国や保守的勢力が政治的な思惑で、反日の宣伝を強力にしています。過去の戦争や侵略が事実以上に拡大、誇張されているのは歪めません。韓国、中国国内では反日感情が先行してしまうのは仕方ない。
 韓国は日本と中国に挟まれて、反日は自国のアイデンティーを確保するためになくてはならないものになっています。近代化に遅れ、植民地化されてというコンプレックスの裏返しからです。また中国に関しては、改革開放政策により本来の社会主義の正当性が失われる中、一党支配の正当性をナショナリズムの強化で補っているためその分、反日宣伝が強化されているのです。
 悪人日本人のイメージが小さい時なら埋め込まれているのに、それが、日本に観光旅行してそれを修正せざるを得ないという記事がインターネットにはたくさん載っています。日本に来て、空が青く、治安が良く、人が親切、、、と自国のマスコミが伝える日本のとは全く違う日本に驚き、今までの反日感情の修正を感じて帰って行く事になります。
 かってそれは日本が辿った経緯でもあります。1970年代から始まった日本の外国旅行ブームにより、若者や富裕層の外国認識が大きく修正されました。今、特に中国で起こっていることはかっての日本との同じ現象が起こっているのです。正確に世界を見る目が育ちつつあるということです。過剰な反日感情はいずれ修正されるでしょう。良いものは必ず伝わります。
 最近、サッカー観戦で中国人サポーターがゴミ拾いを始めた。いい事です。外国に行って初めて井戸の中の蛙と気付くのです。
 
 
 中国経済と民主化
 不動産バブルの崩壊と社会不安から民主化といった流れが起こるのではないかと、中国を見てきたのだが、暫くはそうならないかも知れません。
 習政権に至り、腐敗政治家官僚の摘発は国民の支持も上々で、一定の効果を上げています。バブルに対する方策も今のところ上手くやっています。金融緩和と金融の自由化により不動産に回っていた資金を株式投資や銀行預金戻させたり、大規模な公共投資で、不動産のこれ以上の下落を抑え、地方政府の財政破綻を今のところ最小限にしています。
 しかし、これらの改革は対処療法に過ぎません。汚職は上からの監視ではなくならない、住民の監視が制度化されなければ、根絶はできません。資本主義経済は優しい経済ではありません。国民一人一人が自分生活や仕事に責任を持つ事によって初めて、質の高い製品を生産できるし、新たなアイデアで新たな製品を作ることかができのです。共産党が法律や行政を指導するようなシステムではとても対応出来ないのです。いずれ政治改革が必要です。混乱は避けて通れないことです、早ければ早いことのほうがいいのだと思います。
 かならずしも不景気は悪いことではない。人は景気の良くない時に自らを見直し、変革したものは再生しより強固な、組織や会社を作ることが出来出るからです。好景気では自らの欠点を改めようとしないからです。この国の変革の為には、リーマンショク並みの不景気が引き金なるのではないかと僕は思って、ここの所、その兆しはないかと見ています。
 
 この国は大きいのです、更に長い時間がかかるのかも知れません。分からないと言うのが実感です。政府が出してくる報道、経済指標ですら水増しされていたりします。それを元に推測出来ないことも分からなくしている大きな要因です。
経済指標があてにならないというのは、地方政府の幹部が悪い数字は自分の責任後問われるので、水増しする。それを中央政府が集計せる訳で、国内総生産7.4%は何割かは水増ししている。実態はマイナス成長かも知れないのです。
 日本とは違って、金利が高かったり、今まで溜め込んだ資産を中国政府は持っています。下落すると不動産価格を、金利を下げたり、財政出動したりて、これ以上の下落を支えることができる余裕があります。それができなくなった時に、大暴落、金融危機、中国経済恐慌へと進む可能性があります。リーマンショク以上の経済危機です。
 勿論、中国政府はそうはならないと否定して軟着陸、破綻せず徐々に経済構造の変革することは可能と言っています。しかし信用出来ないのです。嘘で塗り固められた経済、と言われて仕方ないのです。そして、共産党という名前から大きく外れてしまったこの組織は権力維持の為なら何でもするでしょう。段階的な民主化など期待できないと僕は思っています。恐らく恐慌とかの経済的失敗でしか変わる事が出ないのではないかと思います。
 
 易姓革命
 中国の伝統的政治思想に「易姓革命」言うものがありめす。徳を失った王朝は新たな徳のある王朝にかわるべきであるという思想です。日本は中国様々な思想や哲学を受け入れましたが、この思想は受け入れませんでした。天皇家はこの思想をを排除するために、「姓」を持たないことにしたのです。日本の政治的変化は王家を保持したままでの変化ですが、中国は王家が変わる事が日本より起こり易いのです。
 習政権が腐敗摘発を始めた背景には、腐敗を放置すれば易姓革命にまで拡大するのではないかという危機感からです。民主化とこの伝統的な革命思想が結びつくことを、一番警戒したからです。中国は日本より、革命が起こる可能性がある社会なのです。
 
 
 イスラム国
 後藤さん、湯川さんが安部総理の無神経な行動で殺された。イスラム諸国の日本の印象はキリスト教国でない国がアメリカやヨーロッパと肩を並べる国としての信頼感を、ここでまたひとつ失った。
 世界の人口は70億人。イスラム国のような過激な集団がいても、不思議ではないかも知れません。かっての過激な政治集団は、社会主義、共産主義のイデオロギーを掲げていたのですが、ソ連邦崩壊と共に消えてしまいました。拠り所を失った不満を抱える人々、イスラム圏の人々は簡単に、イスラム原理主義者の過激な行動に惹かれるようになったのです。
 
 ここで不思議なのは、彼等の掲げる理想の社会が、イスラム教成立当初の中世まで遡ってしまうということです。これはイスラム社会の闇の大きさの表れなのでしょう。中世以降、アラビア半島はオスマントルコの支配にありました。トルコは中国北部から移動した民族であり、アラビア半島の人々とは根の文化が違います。何世紀にもわたって、自分達な国を持たなかったというのが、過激派が自分達のを根拠を中世にまで戻ってしまう理由なのでしょう。
 ヨーロッパの近代化は宗教戦争、市民革命、産業革命、社会主義運動と激しく動いて、今日の社会を作りました。イスラム圏では、その間他国の支配に甘んじ、そういう変化を起こさず来ました。ようやく第一次大戦後をトルコからの解放後に始まったのです。三百年間の変化をここ一世紀に、圧縮して始まり、現在進行形ということでしょう。
 エジプトのイギリスからの独立、石油採掘による極端に貧富の差、イスラエル国家と出現とパレスチナ難民、そして、イランの革命。列挙するだけでも社会が激しく動いていることが分かります。
 イスラム国の様な政治は長くは持ちません。今年中には消滅するでしょう。問題は解放されたイスラム国支配地域の住民の生活安定と政治的発言の保証です。また、反イスラム国闘争で力を持ったクルド人の自治の扱いなど問題も山積みです。そして、過激派の世界への拡散すことも大きな問題です。混乱はこれからも続きます。
 
 
 二ヶ月間
 乱蘭通信は二ヶ月ごとに出しています。この二ヶ月という時間は不思議な時間の長さです。これに合わせた生活のリズムが出来上がっているのです。
 昨年の暮れ頃から、暇な時間を持て余すようになりました。何をやっても面白くないのです。時間を潰すのが苦痛を感じるようになりました。心の奥底で何かが噛み合っていない、機能しないのです。いわゆる「鬱」なのです。
年が空けても、変わりませんでした。仕事や予定あること以外のことが億劫でたまらないのです。これでは三月の新聞出すのは無理、無理なら伸ばしてもいいやと考えるようになりました。二月に入っても同じだったが、10日過ぎあたりから、少しずつ解消に向かい、バタバタと新聞が出来上がって行きました。
 自分の内側は不思議な世界。11、12月とそば打ちで気持ちが盛り上がった反動でしょうかね。このまま前向きで他のことにも行ければ、今年は例年になくいい年になると思っていたら、一旦ゼロ、それ以下まで引き戻されてしまいました。
 

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