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神様について


僕は何教を信じているのでしょうか。
毎年初詣に行くし、クリスマスも嫌いじゃない。
葬式は仏教が多いし、仏教の教えは染み付いている。
恐らくこれが多くの日本人の宗教との接し方でしょう。

最近、盛んに報道されているイスラム国。彼等とは全く対照的な宗教感覚です。
でも、僕等はこれでいい。間違いではないと思もいます。


元々神様や仏様は人間の都合で作ったもの。この世に神や仏なんていやしない。
自分の都合に合わせ、信じれば良いのだろうと思うし、信じなくても良い。
大切なのは、神様からのメッージとして伝えられてきたら多くの知恵です。
それらは、神様ではなく人間が見つけた知恵を、神様からの贈り物として、
言っているだけのことです。

神様を信じれば、心の整理が付けやすくなるし、恐怖や不安の軽減に繋がります。しかしその反面、違った神様を信じる者を排除する傾向は避けられません。

世界は狭くなり、様々な信仰を持つ人々と隣り合わせに生きて行かなければならないこんにち、排除の論理が先行せるよりは、一見場当たり的な日本人の宗教感覚の方がいいのではないかと思います。

大切なのは、神の名の下に蓄えられた知恵です。
信じるか信じないかてはないと思います。


2015.2.12 Mamoru Muto

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日本の宗教は自然宗教、縄文時代の森の民の宗教観が母体です。山や川、森や木々、植物や動物に霊感や神様を感じて大切にしてきたのですか、日本人はそれらにあまり上下の差を付けずに信仰してきたことです。そして、弥生人が稲作の文化と稲作の神さまを連れてやってきましてが、大きな混乱もなくお互いを習合したのが神道です。
 その後、仏教、道教や儒教が入りましたが、山や川の神様のように受け入れ、時には日本に合わないものは受け入れませんでした。紆余曲折はありましたが、それらの良いものを同時に共存し大切にしてきたのです。
 その柔軟性が遺憾なく発揮したのは、明治以降の西洋文明の受け入れる事が出来たのです。だからといって旧来の日本の信仰や文化は失わず今日まで来たのです。良いものは何でも捨てずに持ち続けてきたのです。排斥しない共存という考え方は今日一番大切な価値です。

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