── 思い出すまま ──

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 古代史は面白い 高天原神話と天照大神
 ── 二度の敗戦により、高天原神話が作られた。 ──
 
 国の最高神が女神というのは、東アジアのみならず、世界的に見ても、日本の古代は特殊な国、不思議な国です。それは女性が強かったという証拠です。
 弥生時代、卑弥呼の時代頃から奈良時代ごろまでの日本の古代史は、朝鮮半島や中国からの大きな影響を受け国作りをした。文化的に圧倒的に優位な大陸から、自国のアイデンティティを守ったひとつが、最高神を女神に据えたことです。
 古事記や日本書紀が編纂された飛鳥奈良時代に、伊勢の大社も整備された。内宮に日の神、天照大神、外宮には生産の神、豊受大神を祀った。この時から、天照大神が天皇家の先祖神として定着したのです。その時まで、広く日の神、お天道様として各地で古く縄文時代から信仰されていましたが、天照大神は必ずしも天皇家の先祖神ではなかったのです。また、「豊、トヨ」のなを拝する女神は地母神として広く庶民の信仰に根ざしていた。
 
 島国ということもあり、大和が国家連合の盟主になる前は出雲が盟主だっと思います。緩い国家連合として、日本はまとまっていました。ひとつひとつの国は様々で、土地の神様を進行していたのですが、現在でも出雲系の神様が全国で信仰されていることからも、出雲盟主時代、大きな影響を出雲は与えていたと思われます。常世、根の国とかこの地上と別の神の国はあったのですが、後日「高天原」とまとめられる神話は存在していませんでした。
 
 五世紀始め、南朝鮮半島の利権をめぐり、北朝鮮半島、東北中国の覇者、高句麗と二度戦い、大敗しているのです。最も高句麗が強かった広開土王の時代です。当時日本は鉄が生産できず、すべて朝鮮半島に頼っていました。南朝鮮半島に同盟国や利権を確保しておくことは、死活問題だったのです。その敗戦は、日本の支配層、豪族達に衝撃を与えました。そして、朝鮮半島の諸国の政治体制、中央政権化が模索されるのです。屯倉など地方に中央の直轄地の創設や巨大な古墳もその権力の集中の現れです。
 そこで王権の強化のイデオロギーとして、遊牧民の国家を真似た天孫降臨の神話、高天原神話が作られたのです。その時の最高神は「高御産巣日、タカミムスヒ」という男神様でした。高句麗や百済の神話の真似、天の神が地上神を支配するという、イデオロギーが作られたのです。
 
 それから二、三百年の後、混乱していた中国に隋王朝が成立し、新たに中国式の官僚による中央集権国家が模索されました。それが聖徳太子による改革です。それは新たな利権の再分配であり、蘇我氏のように損失の少ない豪族と、物部氏のなどの損失を受ける豪族の対立生むことになったのです。聖徳太子の改革は一度挫折することになります。「大化の改新」と後日言われる中大兄皇子のクーデターは、保守派の政変です。律令制度推進の為ではありませんでした。それがすぐ起こる、戦争の敗北により、制度改革せざるを得なくなったと言うことです。日本が朝鮮半島に送った、百済再興の軍隊が、唐、新羅連合軍に大敗します。そこで始めて保守派も改革の必要を認め、新たな律令制国家への改革が本格化するのです。ここでも国内改革の引き金が対外戦争の失敗からです。
 
 大陸から押し寄せる、文化、仏教、道教、儒教などの圧倒的体系的な文化に対抗するため、日本独自のものが模索され、漢字のカナ使用による日本文化の取集記録かなされるのです。日本書紀、古事記の編集、万葉集の編集などです。
 その時、高天原神話も変更されてることになったのです。朝鮮半島の天の神様の性格の強い「タカミムスヒ」から、縄文時代からの日の女神、「アマテラス」への変更です。道教思想による神話の骨子の整備。イザナギ、イザナミの創造神話、スサノウ、オオクニヌシの神話などを含めた現在の姿になったのです。それを指示したのは、大海人皇子、天武天皇です。
 
 日本の古代は女性が強い社会だったのです。特に母親、祖母は絶対的力をもち、天皇、大王でも、母親には反抗出来ないほどの力があったのです。僕の私見ですが、大陸に比べ、戦争が少なかったからではないかと思います。生産を管理する女性、神様も女神の方が、政治や戦争の男性、神様が重要視されていたからだと思います。
 「タカミムスヒ」となんとも呼びずらい名前ですが「タカ、高」「ミ、御」「ムス、産、産巣」は敬称で、「日」の神様です。「気高くすべてのものを生む太陽」と言うような意味です。高皇産霊とも書きますが、高御産巣日の方が本来の意味に即していると思われます。男神です。遊牧民の伝統が強い朝鮮半島諸国の天神の輸入で、支配層には容認されたけど、一般庶民までは浸透しなかったのでしょう。だから、縄文時代から信仰されていた、女神の天照大神のに据代えられたのでしょう。この神様が持ち出された背景には、大和政権以前の出雲の神様、大国主の影響が絶大で、天皇家の先祖神として「大国主」に対抗出来るのは「アマテラス」だったと言うことでしょう。「大国主」の人気は生産や医療の神だからです。戦争前目に出した神様ではないからです。
 
 高天原神話は何百年と時間をかけた神話ではなく、短期間(二、三百年)に作られた神話であることが、最も重要な天孫の血統に弱さがあります。アマテラスのセックスもしくは肉体の一部から後継者が生まれているのではなくて、スサノオとの「ウケイ、占いによる契約」により、スサノオの剣から生まれた子供を、ウケイに勝ったからと強引にアマテラスの子供にしているのです。アマテラスの直接の後継者としては弱いです。ややもしたら、スサノオが最高神と間違われてもおかしくないのです。恐らくスサノオを先祖とする王位神話があり、十分に高天原神話として再編消化出来ないのちに固定化されたからでしょう。
 天照大神を据えることにより、大和政権は庶民レベルまでやっと出雲の神々を凌ぐことができたのだろうと思います。更に伊勢神宮には豊受大神も祀られ、生産の神としてのオオクニヌシに対抗することが出来るよう念を押したのではないかと思います。
 
 
 古墳は一日も早く学術調査すべし
 宮内庁を始め日本の保守派はなとんも、天皇制を守ろうとしているのか滅亡させようとしているか分からない。古墳を調査し古代史を明確にすれば、天皇制の価値も更に明確になることはあっても損なうことはありません。古代の王朝はその時代の要請に応じて変化してきたのです。時代に順応する能力こそが日本の王家の最大の特質ですし、最大の価値です。
 敗戦後マッカサーにと対面した昭和天皇は「すべて私の責任です。」と言った。その謙虚さこそ王家が滅びずに来た大きな理由の一つでしょう。仁徳や聖武が持ち合わせていた美徳です。それを素直に政治に反映していたら、少なくとも現在の韓国や中国の対日批判の何割かは軽減されていたと思います。アメリカも日本の当時の政治家も天皇を利用し、彼の謙虚さは無視した。
 何を怖がっているのでしょうか、天皇を取り巻く保守派の皆さんは。アマテラスの実像は卑弥呼と確定されることでしょうか。男系の血筋が二度にわたり断絶したと言うことでしょうか。天皇家の先祖は小豪族であったと特定されることでしょうか。誰も信じていない神武以降父系でしょうか。僕には分からない。
 
倉重紀嗣さんからの葉書 
 古代史が面白いのは
 日本と大陸は海で隔てられ、直接大陸の支配を受けずに済みました。そのお陰で、古く縄文時代からの伝統を守り発展させることが出来たと言うことです。大きく東アジア文化圏に入りますが、政治的にも文化的にも、中国の大帝国から独立してきたと言うことです。今回のアマテラスの神にしても、一度は朝鮮半島の天神をそのまま受け入れ、後で縄文時代からの日の神に据え代えているわけです。その経過が最近の研究で見えるようになって来ました。
 戦前は独りよがりの皇国史観を日本のみならず周辺国にも強要した。戦後その反動から、騎馬民族論など、天孫神話、扶余族の南下神話をヒントに生まれたが、考古学的証拠の乏しいものだった。戦後半世紀を過ぎやっと皇国史観から解放され、様々な見方が出来るようになったのだろうと思います。
 過去も未来も人間は現代を基準に見ることしかできない。古代史も現在の政治的な要請により、勝手に解釈されてきたのが現実です。解釈の自由度を保証することです。歴史はごく一部の支配者作ってきたものではありません、無名の庶民のダイナミックな活動が作ってきたわけで、王家や支配者の記録はその庶民の活動の象徴、代表としての記録でしかないのです。大多数の庶民の支持なしには王家は存在しないからです。
 
 大雪、大当たり!
 今年の一月は去年と違って雪が降らない、このまま雪無しで春までゆけるか、と思っていたら、二月に入り、ドカ雪が二週続いた。雪国育ちの僕も、すっかり東京人、雪が降り慣れるまで、震えています。
 二月の初旬の雪は、丁度休みに重なったので、外に出ず家の中でやり過ごすことが出来たが、二度目は大雪の直撃を受けた。
 始め天気予報は雨が降ると言っていたが、段々、雪に変わり大雪になると変わって来た。2月14日、バレンタインの日、朝からチラホラ雪が降って来た。あいにくその日は、昼間ではなく夕方から夜の仕事である。
 仕事が終わった夜九時、六本木は積雪十センチ、この程度なら大丈夫と思い中野に着いたら、中央線は止まってしまった。三鷹までは各駅が動いていたが、その先の快速電車は止まってしまった。除雪が済み次第動き出すような車内放送なので、立川辺りまでは帰ることができるだろと、待つことにした。二十分ことに流れる車内放送は、「踏み切りで車が立ち往生」「八王子、高尾は殊の外雪が多い」とか段々大変な内容、「除雪終わり次第、立川、国立あたりで止まっている電車から動きます。」とかいう放送が流れるので、悩ましい。
満員だった乗客も、各駅がの方に移り、席に座ることができた。零時過ぎたから、中央線と朝まで心中する他ない。
 朝五時、中央線に見切りをつけ、高田馬場へ、西武線で拝島まで帰ることにした。ここも安全確認してからの運行。石神井公園で二時間、田無で一時間、小平でまたと、結局拝島に着いたのは、十時過ぎ。
 中央線、青梅線はまだ止まっていた。雪道をキャスター付きの旅行カバンのキャスターはかえって雪に取られて重い。抱えて家まで帰った。田舎の会津の人からは笑われてしまうが、そんな大雪大当たりであった。
 
 
 何故、韓国の反日感情が強いのか。
 朝鮮半島の歴史をみれは、多少は推測できます。小国(中国に比べて)であるがゆえに、中国と隣接しているが故に、複雑なのだろと思います。
 十九世紀までは、中華帝国の東の外れの国として、政治的にも文化的にも位置付けであった。日本はさらにそこから海を隔てた、野蛮国、文化は朝鮮半島を経由して日本に伝えられる。そういったプライドがあったわけです。中華帝国の品行方正な兄と、自由気ままな弟です。
 でも、十九世紀以降それが逆転するわけです。更に朝鮮王朝の清依存体質につけ込み、日本が植民地にしたことは、朝鮮半島に住む人々にとって、絶対許せないことなのでしょう。反日というより、日本に追いつき追い越すこと出なければ、プライドが許さない。ということでしょう。
 中国との歴史的関係が深く、その分愛憎も深いわけですが、国の大きさが違いすぎ比較の対象にならない。少し大きな日本には、対抗心が湧き上がってくるということでしょう。
 後、民族国家としてはまだ南北に分断されているわけで、動かない統一のジレンマが反日に向かっているのはあると思います。
 
 大切なのは、議論することです。日本と韓国、世界的に見たら小さな国じゃありません。歴史的な認識の違い、領土問題、何でも気になること上げて議論することです。それがこれからの関係、大人の関係です。
 
 僕の感想ですが、朝鮮半島の歴史など読んでいると、一番面白いのは古代、高句麗王朝の頃。中国の王朝と五分で、戦い勝っています。隋王朝を倒したのは、高句麗です。
 近世の朝鮮王朝になり、儒教が支配的になり、つまらなくなった。豊臣秀吉の侵入は半分朝鮮王朝内部の派閥闘争が原因です。日本の侵入を防げない国ではありません。備えを派閥闘争でしなかっただけです。同じく、明から清に中国の王朝が代わったのに、清を野蛮国と決めつけ、きちんと対応しなかったので、清より外交軍事権を剥奪されるこになります。それが近代化の遅れに繋がる訳です。 小国故の冊封と言う大国依存体質、それを利用したのが日本です。皇民化政策はその最たるものです。民族破壊です。独立国になり、民主化もし半世紀が過ぎるのに、未だに反日意識が強いのはそういういう歴史があるのです。古代の高句麗や新羅王朝のようなアィデンテイテー復活までは、まだ時間がかかるのではないでしょうか。
 
 
 そもそも歴史は、過去から学び未来を作るためにある。
 歴史は、考古学的事実、歴史的事実、とその解釈とから成り立ちます。解釈は時代と共に変わりえるものです。しかし、目先の利害で変えるべきものではありません。過去から学び豊かな未来へと繋げてゆくものです。多方面からの自由な研究こそが、豊かな未来を描くことが出来ます。
 
 最近日韓や日中で領土問題や、戦前の植民地支配の認識問題や従軍慰安婦の問題が、大きな政治問題化しています。それは三国とも政治が保守化しているのが一番の原因です。力で国民の不満を抑えよう、ナショナリズムを政治の道具にしていることが一番いけないことです。
 安部政権に意図は隣国の脅威を大袈裟にすることにより、憲法改正や保守的政策に結びつけようとしていますし、韓国、中国も貧富の差の拡大を日本バッシングで目を疎らさなければ、政権が維持できないからです。特に中国は深刻です。
 
 歴史は常に政治により歪められてきたことは悲しいことです。そして、歴史は過去のものではなく、常に現在の反映なんです。旧日本軍は好太王碑の文字をセメントで埋めるとか露骨なで滑稽なことまでしていました。
 従軍慰安婦の問題も大阪の橋下発言のように当時の風潮や日本のおじさんの認識じゃダメですよね、これからの現在や未来の基準に沿って解釈し直す必要があるわけです。
 更に、いじめの問題と同種の民族差別の基本的な環境があったわけで、「強制」を示す法的資料があるないの問題ではなく、そういう心的背景への配慮があるかないかの問題です。そこがこの問題の核心だと思います。
 
 現在の三国対立は、先の未来を見ていないから、現政権が目先のことしか見ていないから起こるんです。近未来は経済における国境がなくなる時代です。東アジア三国、日本、韓国、中国の世界経済における役割は大きいのです。そういう視点に立って過去や領土と問題も考えるべきなんですけどね。
 
三月はお雛様 手作り太巻きを供えて
二年前ミミが送ってきた写真  ↓
 オリンピック
 僕も日本人だから、日本の若い人が活躍するのは嬉しい。今回は十代の活躍が目立った。いいですね。ああ、見ていて僕もあの時代に戻りたい。
 彼らはエリートですから、人前の発言は同世代の若者に比べ、大人びているのはしかたないけと、家族や出身地のため、あたりまでは、国を背負ってを言うような発言は感心しません。自分の夢のためだけでいいです。そんな中に、同世代の若者に同じ仕草や振る舞いはいいですね。
 
 今回のソチ・オリンピックは何か楽しめないものがあります。ロシアならもっと冬のオリンピックに適した土地はいくらでもあるのに、政治的に不安定なこの地区をオリンピックを開くことにより、「安定」をアピールした政治的意図の為です。戒厳令さながらの大量の警備とオリンピックは不釣り合いです。多分にテロリストへと走る人々への同情からです。
 余談ですが、各国の首脳が参加をボイコットする中、なりふり構わず開会式に参加した安部首相は、北方領土返還の道筋は少し見えてくるのかもしれませんが、外交面での損失の方が大きいかも知れませんね。この人の強引さがそのうち政治的命取りになるのではないかと思います。

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