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 原発事故の核廃棄物はすべて東京湾に埋めろ!
1980~90年代、福島県に新たな原発建設反対の論議の中で、そんなに安全なら、東京湾の埋立地に原発を作れという話があった。
 原発には恩恵とリスクと二つの側面がある。恩恵受けたのは、東京電力管内、特に東京都民である。全く福島県では電力は使われていない。誘致に伴う優遇された政策と今回のリスクは比較にならない。なら当然、負の恩恵、事故による放射能の不安も、東京都民と関東地方の住民が背負うべきである。今後事故による核廃棄物が大量に出る。除染された土砂も然りである。その最終処分場は、東京湾が最適である。
 そういう結論を出すなら、福島県と関東地方との恩恵とリスクの公平さが保てることになる。これが僕の素直な感情です。
 原発の行方
 僕の一番の政治的関心は、原発のゆくえです。安倍政権の脱原発にに消極的なことです。デフレ克服は結構なことです、原発をその為の道具(原発の輸出など)に使って欲しくないのです。
 アメリカではシュールガス革命以降、原発の原発の経済的優位性は崩壊しつつあります。また、ソーラーパネルの自家発電システムは、毎年一割のペースで安くなり、十年前の半値で、しかも高性能なシステムが開発販売されつつあります。原発は安く自然エネルギーは高いと言う神話は崩壊しつつあるのです。
 原発事故を起こした国民として、安倍政権のこの問題に対する対応は不愉快きわまりありません。
 
 参議院選挙
 「バカな国民が馬鹿「な政党を選んだ。」夏の暑さも加わり感想も過激になります。
 アベノミクス、経済復活、僕としはまだ判断できませんね。いい部分、悪い部分そろそろはっきりしてきます。もう半年一年経ち、総合的に見ないと、なんとも言いようがないからです。
 中小企業まで賃金が上がらなければ意味がありません。物価が上がり、賃金はそのままでは、アベノミクスは失敗と言う事です。また、物価が上がれば、国債の金利も上がります。企業の業績が上がり、税収が増えても、国債の利払い以上の税収アップでなければ、失敗です。
 
「馬鹿な国民」と言ったのは、そこまで見極めていないで、自民党に票をいれているからです。また、経済の影に隠れ、原発問題の後退、構造改革の後退となれば、バカを見るのは皆さん国民だからです。更に、投票率が50%そこそこ、半分の人間は、何も考えていない、わざわざ投票する必要ない、と言う事です。内容の乏しい選挙だったからです。
 

 相模原市在住で房総半島千倉に週末通い、農作業をやっている岡田一慶さんがジャガイモを送ってくれた。赤い皮でほくほくして美味しい。色々作ったが、焼き芋にしてそのままお塩マーガリンで食べたのが一番美味しかった。 

 縄文時代
 今、縄文時代についての本を何冊か読んでいます。考古学的発掘が進んで、けして原始的な社会ではなく、高度な技術や文化を持っていた事が分かってきています。僕の興味は、日本人、日本文化と考えた時、その原型は、約一万年続いた縄文時代に形作られたのではないか、ということです。
 
 飛鳥、奈良時代、圧倒的な大陸の文化(律令制、漢字、様々な技術、哲学、仏教など)が押し寄せた時、それに対抗し、万葉集、古事記、日本書紀を編纂し、日本文化の独自性を早期に作り上げることが出来たのは、本格的な農業が始まった弥生時代からだけの文化の積み重ねでは足らない様な気がするのです。縄文時代と言う一万年に及ぶ、中核があればこそ、平安時代に平仮名を発明し、和歌、物語文学と確固たる独自性を発展させることが出来たのだと思うのです。
 縄文人の信仰や言葉や思想は、考古学的遺跡には残らないので、類推するしかありませんが。巨木による構造物、巨石サークル、漆器工芸、織物、沖縄から北海道までの交易を示す証拠、秩序だった社会組織などなど。日本人の信仰の原型はこの時代に作られたとこは確かです。恐らく、大和言葉の原型も、また、和歌に繋がる五七五のリズムなども、この時代に作られた。と思うのです。
 天台宗の「草木国土悉皆しっかい成仏」などは農耕民の発想じゃないでしょう。アイヌやネイティブアメリカン、採集民族の発想でしょう。より自然と近かった縄文人の豊かな自然信仰があり、それが山岳信仰や巨木信仰として受け継がれ、天台宗の僧侶が仏教の言葉に置き換えた。と言う事でしょう。
 山の神が春、里に降り田の神になったのがお稲荷さんです。人間と自然は対立しないのです。荒神にお供えものをして、守り神にしてしまう。自然は対応の仕方を間違えなければ、恵みをもたらしてくれる。この元は縄文人の思想でょう。                             
 縄文時代は温暖化した時代で、日本列島は広葉樹の大森林に覆われていました。森のもたらすドングリ、クルミ、クリなどを主食とし、イノシシ、鹿などの動物、シャケや貝などの海、川の幸と豊だったのです。豊か自な然のみ組に囲まれていたから、農業する必要がなかった。でも後期になると徐々に寒冷化し、それまでの森の恵みだけでは生活維持できなくなり、補助的だった農業を本格的に始める様になっのです。
 同時に大陸で開発された農産物と農業技術を携え渡来人がやってくると、縄文人は自然と受け入れた。米を始め様々な農産物が栽培される様になり、弥生人化したのです。だから縄文人は現在の日本人の直接の先祖であるし、弥生文化も、その後の古墳文化も縄文人の持っていたものを受け継ぎ、発展させたのが日本の文化なのでしょう。
 1万年以上前、最後の氷河期が終わり気候が温暖化すると、マンモスなどの大型ほ乳類が激減する。人類は植物性の食料に頼らざるを得なくなり、農業が始まる。新石器時代の始まりです。でも、日本列島は広葉樹の森に覆われ、森の恵みで農業を始める必要はなかった。稗やえごま、まめなど農業の出る植物は手に持っていたのだが本格栽培しなかった。そこで東アジアで作られ始めた土器が威力を発揮するのです。植物を煮ることにより、アク抜き、解毒、デンプンをβから消化しやすいαに変化させることが出来、十倍、二百種以上の自然の植物を大幅に食糧化することが出来たのです。
 
 米
 TPPに反対している農業団体の一番は米農家である。僕はそろそろお米にしがみつくのはやめるべきだと思う。
 
 弥生時代、米栽培が本格化して依頼、日本はお米を中心に農業発達して来た。そして、米偏重は二つの問題を常に抱える事になった。一つは、白米過剰摂取による「かっけ」の併発。もう一つは深刻で、災害に弱い農業。です。
 白米(銀シャリ)を食べるのは裕福な証拠、ステータスになったのです。それはビタミン不足という病気を併発することになったのです。奈良時代の僧侶、江戸町民、下級武士は他の食品を摂らずに、白米だけ食べるので、かっけになった。
 米信仰による米偏重農業は、飢饉に弱いという農業を食べる生むことになった。その時々の為政者も、米以外穀物や作物の栽培を食べる奨励しているのだが、米偏重は直らなかった。
 誰でも白米を毎日食べられるようになったのは、明治以降です。それまでは庶民は白米ではなく、玄米、他の穀物を食べて来たから、健康を食べる保つことが出来た、のです。かっけは明治期に原因が分かり、修正されるようになったが、米単作志向は治まるどころか、ますます強まっているのです。その結果、大正、昭和初期の大冷害を招いて居るのです。
 
 戦後の食糧難から政府の米農家保護をすることになったが、高度成長と共に、日本人の食生活は米中心から様々ものへ多様化したのにもかかわらず。農業行政だけは変わらず、銀シャリ志向は、ブランド米志向とへと名を変え現在に至っています。だから、米偏重農業行政を変えるにはTPPはいい機会なんです。
 
 戦後の農地改革、この意味は大きいのだと思います。「成功した社会主義」云われるように、均一化した社会を作り、社会が安定し、その後の高度成長を助けた。食糧確保、労働力の供給と言うことで、手厚い保護がされて来た。しかし、もうその仕組み自体が破綻しているのに、修正されないのが現状でしょう。農地法、農水省主導の行政が農地の多角的な発展を抑えています。米偏重行政こそが問題なのです。
 
 環濠集落、そして城
 中国大陸では「城」は町を表す、町の周りに土で壁を作ったのが、城です。それがさらに頑丈な石やレンガに代わった。だから町イコール城なんです。城以前は、堀を巡らし防御した環濠集落です。アジアだけではなく、ユーラシア、アフリカと防御体制を万全とした町が、中世まで一番多い町の形です。
 日本は朝鮮半島から環濠集落が弥生時代に導入され、吉野ヶ里遺跡など九州に作られがた、その後発達しなかった。日本のお城は町全体を覆うことはなく、中世の政治、軍事の拠点だけの城です。大陸では、集落、もしくは、都市間の戦いが熾烈だったということです。日本はそれ程ではなく、農業文化が進行したという事は幸いなことです。日本は山が多く、峠や谷をを防御に使えたということもありますが、それは盆地の話で、戦いが全体として少なかったからです。
 勿論、環濠や城壁は対抗勢力、都市国家間、国と国の軍隊から町を守るためのものですが、日常的にはもっと小勢力の野盗団なら守る方が切実だったかもしれません。何時もは純朴な遊牧民は、秋の収穫期が終わる頃になると、徒党を組み南の農村地帯を襲う。明時代に頑強な長城が作られるまでの何千年もの間続いた、中国大陸の遊牧民と農業民の間に繰り広げられた歴史です。
 日本でも、大江山の鬼伝説のような野盗団が存在しました。峠道の関所の警備を厳重にするとか、討伐の武士を派遣するとかで、済んだ。という事でしょう。大陸では城壁で町を囲まなければならないほど、襲撃が日常化していた、という事です。
 
 僕はこの町や集落の構造の違いは大きいのだと思います。城壁は他民族、他の街への警戒心と共に、自然と人間の断絶を生む事になったからです。世界の何処でも、農業が多くの富を生む前、新石器時代前半までは、自然は人間に恵みを与えてくれる大いなる存在だったのです。城壁は自然と人間の断絶を生み、時代が下ると「自然を征服する」という意識が生まれるのとなったのです。日本ではそうならなかった。縄文時代からの自然と人間の共存が、弥生時代以降も継続され、そこに美意識を求める、日本文化がさかえるこになったのです。
 現代に至り、「開発とは自然を征服する」意識の変更を余儀なくさせたのが、環境問題です。今が転換期です。「自然を守らなければ共に滅びる」所まで人間生活が拡大してしまったのです。今こそ日本の美意識、文化に立ち返るべき時です。
 
 安田良宏展 「わんぱくほんぽ」 王子PIT北/区域  7/29~8/1
 展覧会やるので手伝ってくれと、六月にメールが来た。絵の運搬と飾り付け、撤去を約束した。手伝い自体はたいした事ではない。作品は150cm程度が数点と2m×3m程度が一点。でもこの紙面に写真を載せるのは僕が拒否です。以前とテーマは変わらず、多少抽象化した。色鮮やか。とだけ言っておきます。
 というのは、昨年、ホームページの過去と絵の作品の写真を消してくれという。一年以上写真といえども、人の見える所において置きたくないという。何度がやりとりをして、主だったものは削除しました。なら最初から、やっさんの絵の写真は載せないほうがいい。というわけです。
 変なこだわりが、誰でも。パソコン使わないから、デジタルの世界が悪魔のように見えるのでしょうかね。僕友達はみんな個性的でたまにこんな事があります。それが面白いといえば面白いのです。携帯写真で全部撮っていますので、見たい人にはメールで送ります。

8/24~25 福生カニ坂フェステバル
の写真は別画面です。→
 

 日本の古代は男女同権か女が上位
 夏場何冊か古代史を読んでいて、感じたこと。古代史は書き改めるべきかも知れません。
 日本は、明治に入り女性の権利が叫ばれるようになり、第二次世界大戦の敗北で、男女同権が法的に確立するが、現在同権かといえば、ご存知のように、社会はそこまで改善されていません。古代は現在の変化の丁度逆だったんです。太古は男女同権か、女性優位社会だったのですが、中国の文化の影響の中徐々に男性優位社会に変わっていったのです。
 出産と子育ては大変な仕事で、古代はなおさらのとで、母方の祖父母、兄弟姉妹共同で担当するのが一番安定しています。その子が成人したら、父方より母方の肉親の方への信頼感が強い訳で、社会全体も母方優位の母系社会だったのです。中世の殊更父権を強調する社会の方が、歪いびつな社会に見えてきます。
 
 飛鳥、奈良時代は中国から体系化された哲学、宗教、国家制度が入って来た、大変革期です。それが平安時代まで続き、家父長制の男性中心の形が出来ってゆきました。江戸時代に男尊女卑の社会となったのです。それまでは、縄文時代から日本は母系社会で、男の血筋より、母親の血筋の方が尊重されたのです。
 古事記、日本書紀を始め、歴史書は男性中心に書かれていますが、いち早く男性中心になっていた、中国の歴史書を真似たからですし、家系図を記録するのも、中国を真似たから、女系は無視され男系だけ書かれるようになつたのです。
 
 縄文時代の土偶は女性を形どった守り神です。生産を司る女性を中心に社会は作られていたのです。平安時代まで続いた、婿取り、通い婚は、かって家庭は女が中心にあった。小単位の家ではなく、大家族で営まれ、首長の元に血縁で村は成り立ち、氏を作っていた。
 卑弥呼、推古天皇などの女王様がたくさん出ているのは、この時期は大きな変動期で、女性信仰、母性信仰を全面に出すことによって始めて、卑弥呼の場合は統一された連合国家、飛鳥奈良時代の女性天皇達は律令制の導入による混乱を切り抜けた。というこではないでしょうか。聖徳太子と藤原不比等などの政治家の功績に隠れ、当時の女王の政治的能力を再評価すべきじゃないでしょうかね。
 例えば聖徳太子の行った冠位十二階は地方の豪族にとっては、曲りなりにもその土地の王として君臨していたものを、ヤマト政権の家臣になれということで、権限の縮小となる訳で、蘇我の馬子や推古女王の政治的、軍事的圧力なしにはなし得ないものです。晩年太子の改革への反発が強くなり、女王から隠遁させられた、というのが真相じゃないかと思えるのですが。
 
 平安時代にたくさんのインテリ女性が活躍したのは、女性の権利が尊重された背景があったからだと思います。彼女達は感じを崩しに崩し平仮名を発明した。更に日記、物語文化を作り出した。奈良時代、伝統的な物は瀕死の状態にあった。役所では中国語の方が通じやすいと言った。漢字は意味言葉です。論理的なのです。大和言葉は話し言葉、情緒や感情の豊かな言語です。平仮名の発明はヤマト、日本文化を守ったとも言えます。
 全て、僕の勘なんですがね。歴史はその時代の価値観に合わせ書き換えられてきました、現在の教科書は男尊女卑の抜けきらない時代に書かれた物です。そろそろ日本の古代史も書き換える必要があると思います。

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