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赤ん坊 ─ あるは、老化についての二三のこと


誰でも赤ん坊の頃は天才なんです。
どんな音痴の人でも、赤ん坊の時は、日本語には無い半母音を聞き分けているのです。
お母さんが話す母音が五種類と理解すると、ここは省エネとばかり、半母音を聞き分け聞き分ける能力を退化させるのです。

まず赤ん坊は、生きてゆくために、最初の他人である母親との関係をよくする為に全精力を注ぐのです。不満なら泣き、満足なら万心の笑みで答え、母親との絆を構築する為に自分に備わった能力を最大限使うのです。その頃の能力は、その頃備わっているもの、これから成長するものと大人の二倍三倍の可能性を秘めています。

しかし、次は父親、祖母や祖父、兄弟姉妹へと少しずつ関係を拡大し続けると共に、必要はない能力は退化させてゆくのです。
そう、老化、若くは退化は、赤ん坊の時から始まっているのです。
幼稚園、小学校と自分を取り巻く社会が拡大するとともに、自分はこんなもんだと、自分に枠をはめる事になります。
更に、大人になるに従い、自分の社会性が増し、この世界との関係が分かるに従い、今度は、「自分はこんなもんだ」「ただのこんな存在だ」と自分の能力をに枠はめることになります。

生きる為だけなら、それでいいかも知れない。それは一番エネルギーを使わない生き方かもしれない。

しかし、自分で作った自分能力規範に満足せず、それを壊す作業、赤ん坊の頃あった能力の復活作業をすれば、人は進化し続けるのでは、あるは、新たな自分との出会いが出来るのでないかと、僕は思っているのですが。
さて、どうなのでしょうか、実際は。
2013.3.31 Mamoru Muto
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