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幸      せ
 
 
 中学生の頃だろうか、「僕は何と幸せ者だろうか」と思った記憶が残っている。優しい父がいて、母や祖母がいて、兄弟に囲まれ、そう思った。
 恐らく、小学生の後半、二番目姉が死んだ家族の不幸や、死の恐怖にとり憑かれたりしたものが、収束したからだろう。
 
 
 時を経て、二十代に二年程、山谷など労務者街をうろついた事があった。友達付き合いや家族との連絡を最小限として、スケッチブック一つを持ち、日雇いの仕事で過ごした。
 人間関係という束縛から自由になりたかったので、自分が何を願っているか、知りたかったのです。
 
 ドヤ街に集まる人々は、実に多種多様な経歴の持ち主達であった。あらゆる階層からそこに流れてきていた。そこで会った人々と、親しくなると、僕は決まって「なぜここに来たか」聞いて回った。すると誰もが「ねほりはほり昔のこと聞くもんじやない」と怒った。
 そう、彼等はみんな心の傷、「失敗者」という思い出しくない過去を背負っていた。何度かの心痛い失敗を繰り返し、その度に家族を失い、友人を失い、人に対する不信が、根深く心の底に沈殿していた。だから、それに触れることは、厳禁であったのです。そしていつしか、誰からの束縛も受けず、自分勝手に出来る唯一の場所、ドヤ街以外に生きる事が出来なくなっていた。
 この体験は僕にとって大きな事であった。「人との交わりを断っては、人は生きられない。」と思えるようになった。
 
 
 「幸せ」とは何でしょうか。
 「家族がいて、友がいて、彼等を信頼出来る事。」恐らくそれが、平凡な毎日が一番の幸せな事なのでしょう。他の幸せはその次に来る事なのでしょう。
2013.2.4 Mamoru Muto

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