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 1977
 星占いによると、今年、僕の主星・土星は1977と同じ星回りだと言う。もう三十年も前のこと、今と違うのは当然なのだが、昔の記録など眺めながら記憶の糸を手繰り寄せると、一つ二つ、三つ四つと類似することが出てくるので面白い。
 77年は僕が美学校に行く前、水俣から帰ってきて、二三年ブランクを経てしばらく絵を描いて行こうと心に決めた時期である。別のことを探そうといっても、心の混乱は大変だった。もし僕が病院に行って医師の診察を受けていたら、確実になんらかの精神障害の病名はつけられていたと思う。一緒に支援活動をやっていた仲間も同じだった。水俣でも、東京でも、あるは病気と認定され親元に連れ戻されるものや、自殺する者までいた。運動の高揚期はいい、長い低迷期に入ると、「何故、こんなことをするのか」という問いが自分に鋭いナイフとなって突き刺さってくる。
 僕は山谷や寿町の労務者街をうろつき、メモ帳にボールペンでデッサンを始めた。小岩に六畳一間のアパートを借りそこから、葛西、大島、更には日本橋まで、東京の下町をホッツキ回った。そしてそれらのデッサンをもとにパステルで絵にした小品を描いた。作品が100以上になって始めて僕は、「しばらく絵を描き続けられるかも知れない」という自信がちょっとついた。同時に言葉(=詩)も噴き出していたのだが、ある時期から言葉のほうは最小限にしようと決めた。
 長く追い求めていた、自分自身の言葉らしきものをやっとつかんだのだった。人前に出す(表現)となると更にそれから五年ぐらい必要だったが。それまですぐに自閉症のように自分のからに閉じ込もってしまうしかなかった僕にとって、人とのコミュニケーションの根の部分見つけたのです。だから、水俣から美学校に移る二三年は、僕にとってはこのうえない大切な時期だったし、今でも大切な時期です。
 最近、母が逝き、叔母、叔父がそれに続き、描き貯めた絵を大方処分し、山梨から東京に二年前引っ越した。30年前当時、祖母の死や、心の支えだった日記帳を処分したことや、小岩のアパートに引き籠もったことなど、数々類似することを発見するのです。
 当時の三年間のブランクのおかげで僕は三十年「絵」という夢のおかげで生きてくることができた。最近の三年間の出来事からの今後の三十年を占い、新しい夢の中で生き続けられることを願っているが、その痕跡すら見えていないと言うことは、僕の希望とは、今後は別な展開を今後はするのかも知れない。
 
 自民党
 ねじれ国会で、自民党、民主党がっぷり四つが続いている。先はどうなるか分からない。今までの対立ではなく、持久戦の様相である。長期政権の闇の部分がたくさん表に出てくれば民主党が優勢になるし、自民党が持前の柔軟性を発揮し続ければ、権力を持っているほうが優勢となる。
 時々考えるのですが、これほどの長期に渡って政権が続くとは、どこにその理由があるのだろかと。なかなか分からない。
 右肩上がりの経済がさまざまな国民の不満を吸収してきたことは確かだ。そして、それを支えてきた自民党という政党の持つ、多様性と柔軟性があるのだと思う。常に金まみれ汚職と言った汚い面とは正反対な、清潔さ、理想主義的な人材も豊富で、その都度修正を加え、決定的破綻を避けてきたというのが実体です。その自民党の柔軟性の最たるものが、十年以上前の政敵の社会党と連立政権を組んだことでしょう。
 その時もう二三年政権の座から離れていたら、自民党は分裂し、戦後の自民党の歴史はそこで終わっていたことでしょう。そうならなかったのは、明らかに当時の与党諸派(現在の野党)の政権構想の無さ、甘さです。あの時、すべての政党が、小さなグループに分かれ、再編するのが一番良かったと思うのですが。
 少なくともこの長期政権の陰りは見えてきた。今年の夏の参議院選挙の敗北は、地方の農民や保守的な層こそこの党の力の源泉だったのだが、彼らが反旗を翻したのである。長らく自民党主流派といわれた人々が、路線対立から離党したり、主流派でなくなってしまったからです。
 小泉さんの改革は、旧自民党主流は潰しだったのです。地方でも民主党と五分五分になってしまったのです。
 
 これからの日本の政治で、情報の公開が最も重要でしょう。制度改革は、不透明だからさまざまな不正がはびこるわけで、情報が公にされれば、庶民の常識や金銭感覚との隔たりは自然に是正されます。そらに長期的な政策も可能です。聞こえの良いお化粧の様な、数年後にはまた塗り直さなければならない政策にはしても何の意味もない。だんだんもう誰も騙されなくなってきた。
 一度は政権は交代したほうが良いと思います。役所の持っている情報もっともっと外に出して、全てはそれからでしょう。
 
 C型肝炎
 731部隊の亡霊がいまだに官庁街を徘徊している。旧厚生省の隠蔽体質、緑十字という会社の体質、731部隊の亡霊の仕業です。悪(人を人と見ない)の譜系は生き続けているのです。
 731部隊は数々の人体実験の資料を米軍に売り渡すことによって戦犯を免れた。米軍にとってもこの資料は、細菌、ガス兵器の基礎資料として貴重なものだったのであった。ベトナム戦時の大量の枯れ葉剤の開発にもおおいに寄与したものと思われる。
 一方戦犯を免れた軍医達は、血液や免疫の専門家として戦後の医学会の一角を占め指導的地位に就く。ミドリ十字は彼らによって設立されたのです。彼らは国の薬事行政にも大きな影響力を持っていたのです。
 血液製剤によるHIV、フィブリノゲン製剤によるC型肝炎はこういう背景のものに起こった薬害事件です。人間無視と隠蔽体質は731部隊亡霊と言ってもいいものです。日本の敗戦時に公にされず隠蔽されたことが遠因です。
 腹が立ちますよね。水俣でも同じだった。アメリカで危険との結果が出からの十何年間、この隠蔽された期間、行政が意識的に思考停止した期間に、被害者が十倍百倍と膨れ上がったのです。
 
 
 ぐるっと おさんぽ 篠原展'07
 昨年は仕事が忙しく顔を出せなかった。今年は一日、時間を作ることが出来た。毎年、藤野町篠原地区に住む芸術家が、自宅を展示会場にして、地区全体でイベントや展覧会をするのである。今年は旧篠原小学校をイベント会場にしていた。東京に引っ越してから、なかなかこちらに顔を出すのも少なくなった。作品を見るより久しぶりにたくさんの友達に会うことが出来たので楽しかった。三宅岳ちゃん、西村夫妻、高橋夫妻、河内さん、ガイネ君、・・・・と。
 帰りに、青野原に住む天野さんに会って久しぶりに色々話をすることが出来た。最近、目の手術をしたと言う、もう76歳になると言う。体を大切にしてほしいものである。
 
 


 

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