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 100号記念パーティー
 4月1日、記念パーティーを良い感じで開くことが出来ました。久米さんのグループはラテン系の音楽で盛り上げてくれたし、カナブンのギターソロも、(上手くなったね、彼女の性格の良さが、これから伸びる下支えをしてくれそうな予感を感じた。)また、久しぶりのナガッチョのタップダンスもパホーマッスも流石でした。それと一週間前より多摩川の川原を探し手集めた山菜も、最期には全部かたずいた。
 それと、僕としては田原口君や生駒炎君や久保田さんなど懐かしい人も顔を出してくれて、嬉しい一日でした。次の日は疲れはて、夕方まで寝ていました。
 皆様のおかげで、良い区切りを付けることが出来ました。ありがとうございます。
 
 
渡部恒三
 最近、テレビで好き勝手いなこと言ってい話題になっている人です。僕の田舎の会津の代議士です。昔、自民党主流派に居る頃はあまり好きではなかったけど、脱党してからはなかなかずごいやと思うようになってきました。会津弁訛りで、本質的なことをずばりといってくれるのはなかなか良い。世の中単純なんです、「愛」とか「正義」とか「誠意」と分かるようで分からない、簡単なことに結局は行き着くのです。
 政治は複雑なった社会の構成する人々の利権を調整する為にあります。古代は「祭る=政る」で神々の力を借りてその調整をやった。現在は理念なんです。個々のグループの利権を超えた政治的理想です。最初から誰もその理想主義を抱き政治家の道に入るが、力を持ち地位が上がるとともにそれとは縁遠いものもが表に出てくる様なる。でも、その大きな力から離れると又もとの理想主義者に戻って行く。
 民主党の党首に小沢一郎に変わって、政治が今年は面白くなりつつあります。渡部恒三にしても小沢一郎にしても彼等が存在感があるのは、政治の裏を知っているからです。非情な部分を知っているからです。若い政治家や野党系の政治家がその部分だろうと思います。サッカーなんかで言う決定力不足があるのだと思います。保守的な改革しか出来ないと言うことですね。何事も器用で程々にやってしまう国民性から来るのかも知れません。極端な破綻がない変わりに、大きな改革もないという戦後の日本人の特徴かも知れません。
 この前、小沢一郎の言っていること聞いていたら、小泉さんができなかったことをかなりホローしていた。基本は「伝統的村社会の持つ良いところ、相互扶助やご近所つきあいの良さは伸ばし、富や権力の集中するところは自由競争の自然淘汰を適用する。リベラリズムと社会主義の融合」でしょう。
 
 三谷・寿町
 マスコミの報道によると、かっての労務者の町は外国旅行者用の安い宿泊街へと大変動を起こしていると言う。その内、探検に行かなければならない。僕がうろついていた頃は七十年代。変な幻想、赤軍はなどが描いていたものと同質の幻想「一番疎外された人々が革命を起こす。」を僕なりに確かめたかったからです。それは当時の新左翼という一が描いた間違いです。人はいくらで落ちるのです。疎外されたからといって、さまざまな条件が整なければ、強力な改革勢力にならないのです。
 僕にとっては当時のイデオロギー中心主義の左翼的思考から自由なるため必要な一時期だったような気がします。
 四月の中旬、横浜関内で仕事があったので、寿町まで足を延ばしてみた。写真はその時のもの、ゆっくりと一回りしていてみたけど、外国人は見かけなかった。旅行客が多いとのことだから、日暮前の五時頃の段階では、みんなそれぞれの目的の場所に行っているのかも知れない。僕の記憶ではもっと淀んだ空気が漂って、労務者ももっと多かった様な気がする。
 
 
 醤油

蕎麦など打っていて最近つくづく思う。日本料理の最大の発明品は醤油ではないかと。肉、野菜、魚なんでも合う、万能調味料です。使えないのは乳製品ぐらいです。他のソース類に比べ塩気が多く、そのまま飲むと言うことは出来ないが、使った食材の旨味や甘味を引き出す、また足らない旨味をプラスする(おしひたしなどで)と言う徹底的に脇役のソースです。「塩」に次ぐ広範さを持った調味料ではないかと思います。

日本人だから生まれたときから味噌、醤油の味が、無意識のうちに刷り込まれているので、中年も後半にさしかかりそう感じるのも自然の流れか知れない。1970年代頃から、じわじわと日本から飛び出し、世界の調味料の地位を確実にしつつあることは嬉しいことです。

魚を生で食べる刺身や寿司の文化は、醤油なしでは考えられない。うどん、そばのスープも醤油と乾物(昆布、鰹節、干し椎茸、いりこ.etc)との合体により、麺の文化が花開くこととなった。室町時代から江戸時代にかけての食の大変革であった。

「溜まり」と言う醤油の別名は、味噌桶の表面に窪みを作りそこに溜まった汁の意味で、醤油の始まりを表わしている。現在「たまり」は大豆と糀をゆっくり時間をかけ(三年ぐらい)発酵させて作る。普通の醤油はそれに麦を加えで発酵を早めたものである。

豆腐や納豆などと一緒に大豆製品が成長した背景には、四つ足は食べないと言う宗教上の理由があるのですが、昔の人が、良質の蛋白質をいかに取るかと言う課題に果敢に挑戦した証です。

 武藤の感じる日本食への十の疑問

  1. 古代には醍醐のようなチーズがあったのに、明治までなぜミルク文化が育たなかったか。
  2. 韓国はキムチ(僕は漬物の王様だと思うのだけど)のように唐辛子がしっかりと定着したのに、同時期南米から入って来たに、七味程度のスパイスしか見あたらいのはなぜか。
  3. 東南アジアのナンプラーのような醤油が、魚を食べ続けてきたもかかわらず、なぜ全国展開しなかったのか。
  4. 肉は食べ続けてきた、鹿、猪、馬、ウサギ、犬等々。四つ足は食べないと言う江戸時代までの原則は、単に宗教上の理由だけだったのか。
  5. どうしてワインが生まれなかったのか。中央アジア起源の葡萄の種は古代には入ってきている。これはワインに適した種でもないのだけどね。
  6. 米信仰の背景にある、飢餓と言う恐怖に付いて。
  7. 「糀」から始まる発酵食品について。
  8. 「旬」の食材を食べると言う文化について。味加減の関係に付いて、味噌醤油の意味。乾物、漬物などの保存食との関係。煮る焼く、調理法に付いて。
  9. キムチの辛さと日本の漬物の塩辛さ。違った調味料での「保存」と言う同じ目的。
  10. お寿司や刺身の魚の生食があるのに、伝統的日本料理はサラダのような生食はせず、必ず塩やお湯を使い浅漬けやおしたしのが多いのはなぜか。
 
 
そして人間として

絵描きを休業して、残るのは「人間」ということになります。どうもおかしいと思い始めた十五の年から、僕はこの言葉の廻りを行ったり来たりしてきました。馬鹿も天才も紙一重、健康も病気も裏表、金持ちも貧乏人も、才能ある人も凡庸な人も。
 答えを探してはいるが、その答えは単なるある直面に対するそのとき出る得たことでしかないし、最高のものでもない。無数にあるものをたまたま「良さそう」と思えたすぎないのだが、それでいいのだと思う。「人間」と言う種自体が、「妥協」の産物だから。ただ、「少しでも良いもの」を求める心を忘れた時、悪くなること難しいことではなく、良い意味でのハードルあるように、悪い意味でもいくらかの歯止めがあり簡単ではないが、奈落の底落ちることも可能である。
 また新しい僕にとっての「人間と言うこと」の周りを回り始めたことは確かである。

 追記 毎日のようにいろいろな犯罪が報道されるけど、重大犯罪を引き起こすためは、才能が必要なのです。犯罪に見合う条件も整わなければ起こせないものです。誰も彼も起こせるものではないと思います。 
 

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