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洪 水
麻梨 

 
 島に雨が降る。確かな天の恵みである。どうも台風が近づいている様だ。雲が渦を巻きながらどんどん通り過ぎて行く。湿度もどんどん上がってきている。この頃、ゲストハウスのヘルプをしていたが、旅人のいい加減さに嫌気がさしていた頃の事、近所の家族の生家がやんばるにあるというので同行した。
 子供たちも夏休みに入り、毎朝、家のドアをノックする。朝八時から…。眠い眼をこすりドアを開けると
「…あれ?、おはよう!。どうしたの?。」と聞くと…。
「サッカーのめんつがたりないんだ。」とK君、小学校三年生、その後ろに3~4人子供たちがつめかけている。これが夏休みの間、毎日なのだ、弁当持ちで近くの公園に集合、日が暮れるとサッカーは終わりになり、宿題を見てやり、バイトまでの時を過ごすのだ。小学校から中学1~2年までの夏休みの家庭講習に突入させられる「自然の流れ」なのだが…。やんばるに同行するというきっかけなのである。サッカーの筋肉痛が治りがかってきた頃、遊び仲間の子供達の親とやんばるの生家へおじゃますることになった。
 
 
 翌日の朝八時、やっぱり公園に集合し車に乗る。R58をひたすら北へ、ルートは塩屋湾から東へ曲がりまた北へ、那覇から四時間程の山の中だ。塩屋湾の「なぎ」と太陽の光の加減の美しかったこと。やんばる〟 とは沖縄北部の森林地帯である。今でこそ、地球規模で森林が守られ広がっていかなければならない時期に思える。実際そういう時代だ。どんどん森に入っていく、本当に昔から使用されていた路である、両側はうっそうとしたやんばるの森、やはり、車を降りてもヤブに入ってはいけない。子供達は慣れてはいるが、やんちゃな子も居るので注意する。川に出る。ここでも車を降り30分程荷物を持って歩く。子供達は、日頃の学校から開放され、ゴキゲンだ。
 この四日間、いったいどういうことになるのかとても楽しみで、大人も子供も同じ気持ちなのだ。川にささやかな橋が渡してあり、河巾は約6m程、流れは、今はゆるやかだ。川の流れというのは、どこに居ても素晴らしい。
 橋を渡ると小さい坂を登り、右手にたき火場、左手に小創りの家、屋根のかわらは平たく、それでも苔むしている。立て直してから40年と少したっているそうだ、電気はないし、ガスもなし、水は川から…、たき火はきれいにたかれていた。いつか写真で見た、インディアンのたき火の様だ。石を三つ、使い古された網の上にピーピーやかんがのっている。
 
 
 「さて…どなたがお湯をわかしているのだろう?」
 子供達はとうの昔に荷物をおろし、あちこちに散らばっていってしまった。楽しそうな声がほんの少し遠くから聴こえてくる。はじめてのやんばるの家。あとできくと、このたき火場は昔、馬屋だったそうだ。昔はこのささやかな橋もなく大きな石が三つあり、そこを渡っていたそうだ。もちろん馬も…。友人は、その馬に乗り、小学校に通っていたそうである。沖縄の都市から離れた東村の昔である。何もわからない私は、とにかくこのたき火の主に声をかけようと思った。と、とたんに、庭の奥の方から小太りのおじいが出てきた。あわてて頭を下げ、あいさつする。言葉が最初は、ウチナーグチなのでよくわからなかったが、ゆっくり言葉をかわすと、
「よく来ましたね。」とのこと、とりあえず、歓迎していてくれる様だ。
 おじいの言うことを聞こう。と緊張していたら、標準語(いったいここでは標準とは何かという問題に自分自身直面したのだが…)で朝十時と午後三時にコーヒーを入れてくれ。との注文。すかさず私はOK!をし、この四日間お世話になります。とあいさつした。庭の奥には一頭の山羊(フィージャー)が大きなひげをゆらゆらさせていた…。
 
 
 お茶(ジャスミンティ、こちらでは「さんぴん茶」と呼ばれる。)を飲み、しばし、ボーッ!とする。
「あ~、たきぎを集めて夕ごはんの用意だなぁ。」
そこで使えるのは子供達。号令をかけると一斉に集まってくる。あっという間にまきは集まり、風呂の用意だ。ちなみにここの風呂はドラム缶だった。たき火のわきにブロック2ヶ、その上に風呂がのっかっている。水は川から友人がひろってきた旧式のポンプでくみあげ、風呂とした。いつもサッカーのめんつ!と、よびにくるK君にお風呂たきをお願いした。慣れているらしく、パタパタとうちわの音が響いている。
 その間ぞくぞくと親族が集まってくる、この島のあちこちにみんな居る。ごはんの用意をするのにいったい何名集まるのかと不安になっていたら、結局は、総勢30名程(大人10名、子供20名)となった。友人の旦那が、何と荷物の中に、でっかい(マギィ)まぐろの頭を4ヶ程、河岸で仕入れ、塩(マース)をまぶしもってきてくれたので、皆様にお世話になることだし、調理は、あらかた私にまかせてもらった。(もちろん、みんなの協力もあったが…)昼に着き、夜八時頃には夕飯が出来上がらなければならない。
 「でっかいトゥーナだねェ。」と言いつつアルミホイルで包み6時間焼いた。その間子供達はまくらを投げたり、うたをうたったり忙しそうだ。空は、雲が厚くなりつつあるが、本部もとぶの花火が始まったらしく雲がピンクになり青になったりしている。空はMILKYCOLORだ。きっと本部いたら、私は走りまわっていることだろう。何よりも君に伝えるョ。
 私の名言。「爆弾より花火さ。」
 
 
 さてさて、トゥーナの頭。ホイルをひらいてゆき、口が出てくる。湯気はホカホカ。たき火のまわりにドヤドヤと皿を持った人達が集まって来た。みんな手で食べる。頭の解体はとても上手。大人も子供も大はしゃぎで食べ始め、その間、友人の奥さんが(この人はウチナーンチュ)「チャンプル」を作ってくれるのを手伝った。30人分のチャンプル、半分ずつ作った。ソーメンをゆですぎて「これはチャンプルではなくプットル!」と言っていた。微妙だなぁ、でも、大人数の食事はとても楽しい。本部の花火も宴たけなわでありました。
 雲はまた一段と厚くなって来ていて、時折、生温い風。たき火場の屋根になっているシートの補強をしなくてはならないので、友人「K君の父。」を探すと、素っぱだかで一人でほえていた。さっきから、森の動物かな?と思っていたのだが…どーも先祖がえりをしたらしい。
 
「お父さん大丈夫かな?」と聞くと、
「ここに来るといつもなんだぁ。」とのこと、
とにかく「服を着ろ!」と声をかけ補強する。その他の新せき、兄弟達は、
「また、はじまったぁ…でぇーじやっさァ。」と笑いながら飲んでいる。まさかこんな風景に出くわすとは思わなかった。補強も終わり、夜もふけてきている。ラジオでは注意報が出ていた。
 古い沖縄の森の中の一軒家、風が強くなりはじめ、初めての体験のせいかなかなか寝つけない。トイレは外。(小屋はない。)ライトを持って外へ出ると雨がポツポツ…。K君のお母さんもなぜか落ち着かない。風はどんどん強くなる。小さいランプの下、一緒にいる子供達のねぞうといびきの素晴らしかったこと。
 
 
 夜半から雨は強くなり、だんだんと川の音が大きく近づいてくる様になった。夢うつつの頭の中で、「増水している…。」日の出の頃、雨音は増水した川の音と合わさってとんでもない音になった。大自然の音というものは、生命維持本能にとっての反応をうながす。バタバタとサンダルを引っかけ外に出る。川のたもとから家の玄関まで手前5Mまで川の水が来ている。『赤い川』透明でゆるやかな流れだったがこの島の川というものは、これからの風景を一時的に変える…。
 しばらくすると雨はやみ、晴れ間も出てきた。ホッとする。川の水は、橋の上、10cmとなっていた。子供達もわやわやと起きてきて元気いっぱい。
「橋がない。橋がない。」と騒いでいる。
「あ~こりゃ今日一杯かかるかな?橋が出てくるのは…。」
いろいろな事を想いつつ、やっぱり日常のご飯を作ることをやらなくちゃならない。今度は「ジューシー」だった。手際よく材料が刻まれていく、米はなべだき。やっぱりめんどうくさいけど、これが一番おいしい。
 と、どうしても根が「ガチマヤー」(食いしん坊)なので食べ物の事になってしまう…。どんな条件のところでも作らなければならないからだ。どこに行っても、まず自分をひけらかさず、(特に全く文化が違うところは…)「食」については、勉強になるからだ。
 
 と、そうこうしているうち、橋の上を川の水が流れているというのに、時間だから家に戻らなくてはならない人がいた。コザの兄さん達である。その子供達は、二人残る事になった。川の水は枝で計ると橋の上13cm程。空は、また遠くの方が雨雲だ。橋を正面に見て、今まで気がつかなかったのだけど、手前の樹と向こう側の樹に、ロープとかっ車がついている。K君のお父さんはこれを使い、橋を渡り向こう側で車を呼ぶ、見んな息をのみ見守っている。あいさつをすませ、彼等は車のドアを閉め、出発の深呼吸、私は思わず声をかけた。
「GO AHEAD!」-出発-
 何だかまるで映画の中のワンシーンがここにある。
(何の映画だったろう…。キリング・フィールドだったか…。忘れてしまった。)
 現実だ。川向こうの友達は、
「ダイジョ~ブ!」と安心させつつ渡らせている。どれ位の時が経ったのか…。渡り終え、兄さんは、車から降り、友達と握手している。
川向から「じゃあね。ありがとう!」と日本語で…(義理の兄さんはアメリカ人なのだ。)
とたんに子供達の大歓声。
 兄さん達が行ってからみんなポカーンとする。
 川は上流からいろいろ運ぶ、川を渡る「人」、川を渡らせる「人」、見まもる「人」、人を信じていく「絆」が見えた。
 
 
 あ~、また子供達の宿題だぁ。
 自分一人の 沖縄やんばる〟 カリキュラムのないカリキュラムをこなしている。
 そう言えば、この家の主のことなのだが、たぶん70才はいってないと思うのだが、全く… この島の場合、だいじな資料が戦争で失せてしまっているのでよくわからない。とのことだった。まぁだいたいそれぐらい(テーゲー)でいいらしい。で、そのおじいの事なのだが、ほんの一瞬の風景。自分の近くにいる子供にお金を上げている。ちらしの裏側にえんぴつで数字を描き、たくさん渡している。
 
 「おじさんは、数が数えられないんだよ。おじさんは子供の頃、この川を渡る途中、転落して、頭を打ってしまったんだそうだ。」と…
 
 「おじさんは、この家戻ってくる前は町の施設にいたのだけど、やっぱり生家に帰りたいとのことで、ここに居るんだよ。」と友達が説明してくれたのだった。いろいろなことを考えさせられる。
 
 おじいがここに居てくれて良かった。
 私は、おじい達の為でもないのだが、たき火場のブルーシートの雨がたれている所に大・中・小のバケツを置き、水タンクを作り(バケツの中にたき火で出来た炭を入れた。)その場所を後にした。
 
 「おじい、長生きしておくれ。」

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